宙に浮かぶ黒球は風に運ばれるシャボン玉のような挙動で廃ビルの中へと吸い込まれていく。それを見た少女は、自らの身長をも超える巨大なスナイパーライフルを担ぎ直した。頻発するテロ事件。それを指揮していると思しきFHエージェントを追っていた天原瞳は、遂に彼らの拠点を見つけ出し、そして今に至る。
「エンジェルスポッター、ひとまず応援が来るまで待機を……」
「ここで逃がすわけにはいきません。私が先行して足止めを」
通信機から聞こえる制止の声を振り切って、瞳は廃ビルの中へと踏み出す。中は思いのほか薄暗く、人の気配はまるでない。幽霊でも出そうだと想像してしまい、思わずスナイパーライフルを握る手に力が入った。銃弾が届くものならともかく、どうして人はあんな悍ましい存在を題材などにするのだろうか。と、そのとき、通常の何倍にも強化された彼女の知覚が僅かな音を聞き取った。この階に……、いや、近づいて……!?
振り返ることなくスナイパーライフルを自身の背後へ、もはや照準など視界のみに頼る必要もない。爆音。積もった埃が舞うほどの衝撃が通路を駆け抜け、音速を超える一発の弾丸が標的へと差し迫る!
「良い反応だ。私の指揮下に入らないか?」
「……まさか避けもしないなんて」
驚嘆の言葉はそのまま黒スーツに身を包んだ男の手元に注がれる。親指と人差し指で抓まれた銃弾は皮膚を焼きながらも完全に回転を殺されている。それをまるでゴミのように投げ捨てて、男は口の端を歪めた。銃弾を掴んだあの能力、それが如何なるエフェクトによるものなのか分からない以上下手を打てば一瞬で勝負が決まる…っ。そして彼女が選んだのは一度防がれた銃撃のリプレイ。また防がれたとしても問題はない。ただ、次は確実に見逃さない。放たれた銃弾は一条の線を引くように寸分違わず男の元へ。そして……。
男の背後で黒球が回転を始める。その速さが増すのと反比例するように周囲の時間が緩やかになるのを男は感じた。眼前に迫る銃弾も、今となっては桜の舞い散る速度まで落ち切っている。
時間というのは演奏に似ている。レント、グラーヴァ、リタルダンド。遅く、遅く、更に遅く。私の時間はコードに記号を書き込むように、流れも全て指先一つ。戦うなどと合奏団の役割である。私の仕事ではないと背を向け、次に書く曲へと思いを馳せる。さて、次はどこへ向かおうか。
――“作刻家《コンポーザー》”乾玄